
2021.10.7 料理
冷たいお菓子の長い歴史! ~アイスクリームと日本人~
●はじめに
夏が終わろうとしていますが、まだまだ暑い日が続きますね。アイスクリームが恋しい日々はもう少し続きそうです。
今回は、アイスクリームがどのように日本に伝わり、広まっていったのか、その歴史をわかりやすく解説していきます。
●アイスクリームの歴史その1「江戸」
日本人とアイスクリームが初めて出会ったのは、幕末のことでした。
1860年、江戸幕府は、日米修好通商条約に同意する手続きのため、使節団をアメリカに送りました。使節団は、アメリカ側から、おもてなしでアイスクリームをふるまわれたそうです。「珍しき物」「まことに美味」と使節団の一人の日記にあります。
1869年、初めて日本人がアイスクリームを作りました。アメリカから伝わった製法をもとに、牛乳、卵、砂糖で作ったのですが、シャーベットのような状態でした。1921年ごろまでは、それが日本人にとって当たり前だったようです。
●アイスクリームの歴史その2「明治・大正」
明治時代に入ると、舞踏会で欧米人向けのデザートとして作られたり、レストランや洋菓子店で販売されたりするようになりました。ですが、値段が高く、庶民は気軽に食べられない贅沢品でした。
大正時代に入ると、国内のアイスクリームに様々な変化がありました。
① 工業化
日本も工場でアイスクリームの生産を始めました。
最初に作ったのは、冨士食料品工業(現在の冨士森永乳業)です。1920年、アメリカ製のアイスクリームフリーザーを導入して作り始めました。
② こってり味?
1921年、極東煉乳(現在の明治乳業)が、乳脂肪分を多く使ったアイスクリームを販売しました。これは、シャーベットのようなタイプを食べ慣れていた人々に「味がこってりしすぎの粗悪品」と誤解され、しばらく受け入れてもらえませんでした。
③ コーティング!
1923年、アイスクリームをチョコレートでコーティングする技術が日本に初めて導入されました。
●アイスクリームの歴史その3「昭和・平成」
昭和時代に入ると、アイスクリームの保存方法が変わりました。それまでは塩と氷による原始的な方法でしたが、塩水を凍らせた冷却剤による方法に変わったのです。これにより保存性が高まりました。
戦争が始まると、アイスクリーム文化は衰退しました。原料の牛乳が軍需物資にされたり、戦局が悪くなったことで製造を中止されたりしたためです。
戦争が終わると、アイスクリーム文化が復活しました。アイスキャンディーが売られるようになったのです。始めたのは、焼き芋屋、こんにゃく屋の人たちです。冬に商売をする人たちですが、夏も商売で乗り切らなくてはならないため、夏に売れるアイスキャンディーを販売したのです。水に甘味料や香料を混ぜ、割り箸をさして凍らせたものを売り歩きました。
昭和後期には、様々な会社が次々とロングセラー商品を発売しました。
*「チョコモナカ」
森永製菓、昭和47年発売、現在の「チョコモナカジャンボ」
*「あずきバー」
井村屋、昭和48年発売
*「ピノ」
森永乳業、昭和51年発売
*「雪見だいふく」
ロッテアイス、昭和56年発売
*「ガリガリ君」
赤城乳業、昭和56年発売
平成時代に入ると、「飲むアイス」が登場しました。
その代表が、「クーリッシュ」です。ペットボトル飲料の普及にともない、ドリンク感覚で飲んだり、持ち歩いたりできる新しいタイプのアイスとして開発されました。
平成後期には、「大人向けアイス」が増えていきました。代表的な商品は、今も多くのコンビニやスーパーなどで見かける「パルム」でしょう。
少子高齢化によって大人の人口が増えたり、戦後生まれで、子どもの頃からアイスクリームを食べてきた世代が高齢となったりしたことで、以前より「アイスを食べる大人」が増えたためです。
●おわりに
江戸、明治、大正、昭和、平成……どの時代にも「アイス情勢」は大きく変化しています。これからも変化し続けることでしょう。
コロナ禍の今、日本では、在宅時間が増えたことから「家でのおやつ」としてアイスを買う人が増えているようです。ひょっとしたら、これを読んでいるあなたも、その1人になるかもしれませんね。










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